以前から少しその気はあったのですが、ある方のお勧めもあって、初めてブログというものを書きます。
ただし読者数はほとんど期待できないので悪しからずご了承ください。
人間の欲求の中で一番は生存と存続の欲求でしょうか?生存し存続するために様々な欲求が生まれる。お金を稼ぎたい、出世したい、熱い、寒い、美味しい、まずい、気持ち良い、人を好きになる、親子の愛などはすべてその欲求から発していると思います。
しかし最近はその欲求を根底から覆されるかもしれない物騒な時代になりました。お隣の中国、韓国の新聞社の日本語版WEBニュースなどを見ると、もしかしたら彼らの一部は日本の明治以降の歴史と日本人の存在自体が許されない位に日本及び日本人を憎んでいるように感じます。(それは度重なるプロパガンダと教育の成果かも知れませんが。)核爆弾を日本全土に落として日本人を抹殺しろと呼号している勢力もいるくらいです。
私は戦後のベビーブーマーの世代で、戦争も経験せず今日を迎える事が出来ています。その前の世代は大変な惨禍に見舞われました。孫の顔を見るにつけ、この子どもたちを不幸な目にあわせてはならないと強く感じます。
考えてみれば終戦から今日まではかなり恵まれた時代であったと思います。それは、米ソ冷戦の中、日本はアメリカの陣営で過ごせたからです。ある意味ではアメリカの武力に守られて経済活動に専念できた。1960-70年代の安保闘争やベトナム反戦運動なども所詮はその枠組みに守られた範囲でのものでした。中国も1990年ころまでは今のような経済発展と強大化など想像もできませんでした。いわゆる平和憲法も、当初は日本が再度武力を使わない様に弱体化する意図が連合国側にはあったと思われますが、日本サイドからすると日本が危険な目に遭わないための理由付けに都合よく使われてきました。
さて、今やアメリカはかなり内向きになってきました。世界の警察官としていつまでも振舞ってくれないかもしれません。一方、中国は人民日報webなどを読む限りではいよいよ世界帝国として栄光と誇りをつかもうとしています。アメリカと太平洋を2分しようなどというのは帝国主義以外の何物でもありません。(そう言っているのは一部の共産党を中心とした支配者でしょうが。)
こうした情勢に対応するには日本としては自らを守る気概と自衛力を身に付けるとともに、日本の国柄や姿勢を理解し共感しててもらえる他の国々、つまり仲間を多く作っていかねばなりません。いわゆる集団的自衛権を世界に明確に示すことは当然と言わねばなりません。私に言わせれば「平和憲法をないがしろにして戦争に巻き込まれる」というのは全くの筋違いであり、今まで戦争に巻き込まれずに済んだのは戦後の冷戦と日米同盟の成果と言わねばなりません。そしてその賞味期限が切れようとしている今、新たな安全保障の枠組みを作り上げることは、政治家の一番重要な課題であり、安倍政権は至極まっとうな仕事をしていると考えています。
しかし今の安倍政権のやりかたがすべて適切かというと必ずしもそうではないのではないか、というのが私の今の考えです。そう思う理由については次の投稿で書きたいと存じます。
いまブログを読みました。
固定観念を排して日本が置かれてきた状況を冷静に捉ようとする姿勢がうかがえて好感を抱きました。気になる点としては中国の実力、かの国の実態に対する過大評価があるのではないかとの気
が多少します。でも、私の思い過ごしかも知れませんね。次号を楽しみにします。