パックスロマーナとパックスアメリカーナそしてパックスチャイナ

塩野七生氏の著作によると「敗者をも同化するクレメンティア(寛容)」こそがパックスロマーナ(ローマによる平和)を生んだと。カエサルは確かにガリア(現フランス)で敗者の支配層をそのまま生かしかつローマ市民権を与え、有力者にはローマ元老院の議員に任じたと。アメリカも日本敗戦後は確かに支配層を温存し、また日本の若者を留学させアメリカナイズした。
 しかしベトナム戦争の評価はさておき、9.11以降のアフガニスタン、イラク戦争、そしてアラブの春で反政府勢力を支援したことなど、すべてがうまく行っていない。パンドラの箱を開けたかのように「イスラム国」など様々な勢力がうごめきはじめ、収拾がつかない状態のように見える。
 その間隙を縫って中国が「我こそは次代の平和を築く勢力なり」と主張しようとしている。
 しかし中国が世界の平和を作る事を認めた場合、その平和は息苦しいものになろう。なぜなら当たり前だが自由がないからだ。共産党政権下の平和はご免こうむりたい。
 だからと言ってアメリカの方針・政策について行ってよいものだろうか?私は詳しい事は分からないが、ウクライナの東部については様々な勢力の思惑が渦巻いているのだろうが、そこに住んでいる人々にすれば、「誰が主導権を取っても良いが、戦争、殺し合いはやめてくれ、平和のもとに生活を築き上げ、努力が報いられる社会であって欲しい」と思っているのではないか?
 プーチン氏となら話し合いが成り立つのではないか?政治リーダーは「沽券に係わる」など体面を取り繕うのではなく、住民本位で考え、妥協してほしい。戦争、殺し合いはやめてほしい。このブログのテーマの「安全保障」からするとロジックではなくお願い、希望、叫びに近いのですが、あえて申し述べます。

パックスロマーナとパックスアメリカーナそしてパックスチャイナ」への1件のフィードバック

  1. とうりすがりのおやじさん

    海外で、この手の話をしたら 日本人が論破されることが多い。  たとえば、認識の違いに 驚くことが・・・「国連」 これは、誰かが作った日本語訳になっている。 直訳は、「連合国」 米国、中国、など拒否権をもっている国々を指します。  その他の国は、事実上、ゴミ扱い。 学校で習ったのは、まさにパックス効果か??  日本人は、なぜか 横文字に弱すぎる。 ナショナリズムは、ダサいが、パトリオットリズムなら いいか。 インターナショナルは、ダサいが、グローバルは、かっこいい。  もう少し、日本人は、言葉ではなく、自国とは。 この国は、どうすべきか等 話し合う環境を持つ必要を感じます。  そういう意味で、日本のマスコミの報道には、海外に比べて幼稚すぎることを 海外にいて痛切に感じました。 

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