さて、先回の投稿で、安倍首相の対応が適切ではない、と書きました。その理由は、彼の言動が歴史修正主義と見られるため、仲間を多く作る点において他国のためらいを生んでいる点です。
彼は「戦前の日本は悪くなかった、自衛のためやむを得ず戦争に立ち上がったのだ、日本人はもっと日本の国家の歴史と伝統に誇りをもち、祖先を敬い、日本人としてのアイデンティティを取り戻そう」と言いたいのだと思います。東京裁判史観からの脱却を目指しているのでしょう。
その気持ちは分かるが今、それを言う時期か?というのが私の考えです。それを今言い募ると日本を叩こうとしている勢力に日本叩きの根拠を与え、彼らを利し、日本を孤立化させるリスクを犯し、日本国民の安全を毀損するするのではないかと思います。鄧小平氏が云った”韜光養晦”を今こそ逆に日本の指導者が実践し、逆に主敵の非難を躱し、逆に主敵の非道さを世界に明確化すべきではないか、と思います。
ここで、”韜光養晦”についての誤解があるので一言申し上げます。「実力が付くまではおとなしくしている、実力が付いたら本性を現す」と、中国のこれまでと最近の傲慢ぶりを比較して、このように理解している向きがありますが、そうではありません。下に、正しい解釈を引用しておきます。
ーーーー朱氏に言わせれば、「“韜光養晦”が本質的に反映しているのは、中国人が身を処す時、ことを為す時、学問をする時の価値観、志向である。名声や優れた才能があるにしても、人や物事との接触において、慎重で、控え目で、才能をひけらかしたり、言い募ることのないように戒めることだ」という。つまり一時的に才能を隠して反撃のチャンスをうかがうなどという姑息な戦術ではなく、儒教の「中庸の観念に近く」「中国が平和発展を模索し、交流や協力を通して、ともに利益を得、勝利を得、共同発展を実現し、調和のとれた世界、地域の構築を推進するものだ」と解説する。-----
ではいつ日本はその考えを云うのか?と考える方もおられるでしょう。それは私にはわかりません。しいて言えばアメリカも中国も自省的になった時、とでも言いましょうか。でも日本人の人権が守られ、現在の国家と日本人のあり方が賞賛に値するならば、過去についての評価はやがて変化してくるのではないでしょうか?日本は戦後、過去を清算して精励努力し今日がある、今日を見てくれ、これで良いではないですか?
その意味で、私は靖国神社の首相参拝は自粛したほうが良い、という考え方です。その理由はA級戦犯が祀られているからです。戊辰戦争、西南戦争の死者は祀られていない。つまり時の権力側は祀られ、正当化されている。日清日露戦争は正しかった、大東亜戦争は負けたが正しかった、と言い募るわけです。これはまだ続いている国際連合のレジームに真っ向から対峙することになる。そこまでして世界を説き伏せ、論調を変化させうるだけの実力がまだ日本にはないのではないでしょうか?
それよりもまず国連のレジームを認める中で抵抗感を減らし国連の常任安保理事国になって実績を積むことが重要だと思います。
なお、慰安婦問題は国家の関与を認めない方針で当然行くべきですが、同情の念はいつも表明していればよいと思います。
以上がいま小生が考えている事です。従って安倍首相のこれまでの最大のミスは靖国神社への参拝であり、それ以外は概ね良好ではないかと思います。
靖国神社以外の戦死者を弔い平和を願う施設の建設については反対論が多いようですが、これは逆に日本の姿勢を世界に表明し、主敵の非難を躱すためのよい契機になると私は考えます。宗教法人としての靖国神社がA級戦犯を祭祀から外せないなら仕方がないと思います。
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